竹内一郎著 『人は見た目が9割』(新潮社, 2005年)

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竹内一郎著 『人は見た目が9割』(新潮社, 2005年)

ひどいタイトルだあと思い、ずっと読んでいませんでしたが、ブックオフで105(税込み)で売っていたので購入し、ざっと一読。

とかく酷評されているのは表題の根拠ともなったこの一節です。

アメリカの心理学者アルバート・マレービアン博士は人が他人から受け取る情報(感情や態度など)の割合について次のような実験結果を発表している。
顔の表情 55%
声の質(高低)、大きさ、テンポ 38%
話す言葉の内容 7%
話す言葉の内容は7%に過ぎない。残りの93%は、顔の表情や声の質だというのである。実際には、身だしなみや仕草も大きく影響するだろう(p. 18)

これがでたらめなのはわかりきったことなのですが、『人は見た目が9割』というでたらめのタイトルをつけたのは竹内さんではなく、編集者の方でしょう。宝塚大学で教授をなされているようですが、こういうタイトルの本も業績にいれるんだろうか。

では内容を忘れないうちにマーカーで引いた部分を復習しよう。

[1話 人は見た目で判断する]

教育の陥穽という観点から、一つ補足する。私たちは、子どもの頃小学校の先生に「人を外見で判断してはいけない」と教えられた。それは「人は外見で判断するもの」だから、そういう教育が必要だったのだ。

逆にいうなら、「人を外見で判断しても、基本的には問題ない。ごくまれに、例外があるのみである」といってもよい。(p. 20)

「人は外見で判断するものだから、人を外見では判断してはいけないと教える」の逆は、「人を外見で判断しないのであれば、人を外見で判断してはいけないとは教えられない」です。「人を外見で判断しても、基本的に問題がない」と先生が判断していれば、生徒に「人を外見で判断してはいけない」と言うわけがありません。ごくまれに、正直者が損をする場合に、先生が生徒に正直者になってはいけません、なんて言うわけないでしょう。

我々演出家が、経験則に基づいて行っているキャスティングは、「多くの人がそういう風に見ている」という先入観に基づいている。何故そういう「先入観」を持つのか。それは「そういう人が多い」という「事実」に基づいているのである。」(p. 24)

経験則に基づいて判断しているものを先入観とは呼びません。

男優の場合、髭は重要である。演出家は「髭」を基本的に「コンプレックスの表れ」と見る。「自分を実際よりも上に見せたい」心理は髭に表れる。髭には周囲に威圧感を与える働きがある。逆に言えば、そうした「小細工」をしないと周囲を威圧できないという意識がどこかにあるといえる。(p. 25)

髭は、そもそも「威厳」の表現であった。髭の持つ「虎の威」を借る必要があるのは、その人の本性が「キツネ」だからなのである。(p. 27)

こういうのを先入観というのです。阿部寛、オダギリジョー、竹野内豊らがコンプレックスから髭を生やしているとは誰も思わないでしょう。確かに髭は周囲に威圧感を与える効用がありますが、小細工をしなくても周囲を圧倒させる俳優が、さらに男っぽさを示すために髭を生やすこともありえます。竹内さんの論調に従うと、向上心からくる行動がすべてコンプレックスの表出と受け取られそうです。

ソファーに座ると、座る部分と背もたれの間にある隙間に手を入れると気持ちがいいと感じることはないだろうか。ソファーに限らず、たとえば新幹線でも隣の座席との間の隙間に頭を置くと落ち着くという方も多いはずだ。本来ならば窮屈なはずなのに、なぜ手を入れてしまうのか。

それは人間にとって「隙間に入る」のは気持ちがいいのである。

「人の気持ち」も隙間に入りたがる修正を持つ。本音を語る人物には、人間の防御壁が外れ、隙間ができる。その隙間に人の気持ちが入ってくる。(pp. 30-31)

意味不明。

[2話 仕草の法則]

私は、ボイストレーニングの基礎ぐらいは、義務教育に入れてもいいのではないかと考えている。声で損をしている人は、学歴で損をしている人より、遥かに多いのではあるまいか。(p. 34)

学歴で損をしている人の方がはるかに多いと思います。

[3話 女の嘘が見破れない理由]

東京新宿・歌舞伎町で、警官が未成年者を補導する場合、対象が未成年者か否かが見極めが付かない場合がある。こういう時には、次のような判断材料があると聞いたことがある。対象が、大人びた服を着ていたら未成年、子どもっぽく見せていたら、年がいっている、と。(p. 63)

大人が大人の服を着ていても大人びているようには見えません。未成年者がティーンの服を着ていても子どもっぽく見せているようには見えません。大人びたとか子どもっぽいといった判断をしている時点で対象の年を推測しているではありませんか。

「可愛い女の子」のポーズの第1の特徴は、快活に足を広げている時も、膝は内側を向いているというものである(5)。女らしさの象徴は、内側に向いた足。これは舞妓さんの歩き方の変形であると私は考えている。従順の表明である。パーソナルスペースを狭くしてでしゃばらないという印象を相手に与える。(p. 64)

たぶん、非日本人は内股を女らしさの象徴とは見なさないでしょう。

[5話 日本人は無口なおしゃべり]

日本人は、わからせようとする気持ちが少ない。テレビの討論番組を見ていても、相手を説得する気があるようには思えない。大声で独白しているだけである。…何故、それでもよいのか―。それは、日本にそもそも「わからせなくてもよいのだ」という伝統があるからだ。例えば、西田幾太郎、小林秀雄、渋沢達彦、蓮実重彦などの文章を思い出してみればよい。日本の代表的知識人には、わかりやすい文章を目指していない人のなんと多いことか。(p. 94)

なぜ日本人は英語が下手なのか。それは、日本には英語ができなくてもよいのだという伝統があるからだ。なぜ日本人の男性はマッチョが少ないのか。それは、日本には男はマッチョでなくてもよいのだという伝統があるからだ。なぜ日本には不倫願望をもつ人が多いのか。それは、日本には不倫を魅惑的なものとみなす伝統があるからだ。

伝統を持ち出せば、どんなものも説明できますね^^

[6話 色と匂いに出でにけり]

日本のマンガは、基本的に墨一色である。白い紙に黒いインクの一色刷りである。これは珍しい現象である。…日本でも、たまに豪華本としてオールカラーのマンガが出版されることがある。そういうマンガは読んでいて、「もたもたするなあ」と私は感じる。マンガは読むテンポが大事である。コマの中の、ポイントの部分は書き込んでも、周囲の省略してもいい部分は適度に端折って貰った方が、読者は自分流の心地よい「読むリズム」を作りやすい。(pp. 108-110)

アニメはカラーですが、アニメとマンガはどうちがうのだろうか?

人間は指先や舌でも色を感じる。実際、人に目隠しをして、周囲の色を様々に変えると、見えているときと同様に筋肉が反応したという実験結果もあるという。(p. 111)

ほんと?

水洗トイレとテレビの延長線上に、ネット上の恋愛があるように思えてならない。(p. 126)

思えません(>_<)

[10話 行儀作法もメッセージ]

私の「マナー観」が変わったのは、あるマナー教育の専門家に出会ってからだ。マナーは計算されて作られている。何故そのマナーが生まれたのか、という説明を受けているといちいち頷かされる。きちんと考えて行動すれば、みんなそのマナーに行き着くのである。そのマナーに行き着かない人は、対人関係を考えていないのではないか、とさえ思えてきたのである。(pp. 166-167)

合理的に行動すれば誰もが同じ行動を取るのであれば、それをあえてマナーとしてその行動を制度化する必要はありません。言い換えると、「きちんと考えて行動すれば、みんなその(行動)に行き着く」ものはマナーであるはずがありません。竹内さんが逸しているのは合理的行動を取った際に行き着く点が多数ある可能性です。Aという行動が合理的に見えたからといってそれが唯一の合理的な行動であるとは断定できません。これを「多数均衡(multiple equilibria)」といいます。

このあたりでコメント終了。私のコメントは7割は揚げ足取りですから、このコメントを見ただけで本書を悪書と思わないでください。タイトルはたしかに悪質ですが、中身はそこまでおかしいとは思えませんでした。言い換えると、本の内容は「人は見た目が9割」という論調に沿っていません。ブックオフで税込み105円で売ってますので、興味のある方は読んでみてください。

2月 15, 2011 · Pukuro · No Comments
Posted in: 雑談

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