勝間和代さんの『まじめの罠』をまじめに読んでみる: ①「まじめ」とは何か

Pocket

「真の知識にあこがれる者にとって過去の著作者たちの定義を検討し、もしもいい加減なものであるばあいにはこれを訂正し、自身で定義を与えることがどれほど必要かが明らかになる。定義に誤りがあれば計算が進むにつれてその誤謬は増加し、まったくばかげたことになるからである。最後にそれに気づいたとしても、はじめから計算し直さなければ、誤謬を取りのぞくことはできない。なぜなら端緒に誤謬の根があるからである。…したがって言語(スピーチ)の最初の効用は、名称の正しい定義にある。それこそが学問(サイエンス)の獲得である。名称についての誤った定義と無定義とに、ことばの最初の誤用があり、そこからすべての虚偽、あるいは無意味な教説が生じる。そしてこれが自分自身の熟考によらず、書物の権威に教えをあおぐ人々を無知な人々以下の状態におとしめる。すなわち、真の学問をつんだ者が高められるだけ彼らは逆に低められるのである。なぜなら、真の学問と誤りの教義の中間に無知があるからである。」(ホッブズ『レヴァイアサン』)

勝間和代さんがネットで騒いでいるようです。発端はアマゾンのカスタムレビューで新著『まじめの罠』が酷評されたことにあるようです。それに対して勝間さんが「あのーーー、読まないうちに星1つだと、著者としてはとってもこまるのですが(苦笑)。読み終わったら、直してくださいね」 とレビューにコメント。その後一般読者との間で言い争いが生じたらしいです。

http://www.amazon.co.jp/%E3%81%BE%E3%81%98%E3%82%81%E3%81%AE%E7%BD%A0-%E5%85%89%E6%96%87%E7%A4%BE%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E5%8B%9D%E9%96%93%E5%92%8C%E4%BB%A3/dp/4334036465/ref=cm_cr_pr_product_top

どうも勝間さんはすでに終息宣言を出しているようです。

http://kazuyomugi.cocolog-nifty.com/private/2011/10/post-c003.html

私はもちろんカツマーではありませんが、読んでもないのにレビューするなというのは真っ当な反論だと思います。ということで、『まじめの罠』を勝間が述べる以下の忠告に従ってクリティカルに読んでみました。

「まず必要なのは、「すべての前提を疑ってみる」「すべての前提を鵜呑みにしない」」(p. 17)

「こうした、健全な疑いをもって事象を読む手法は、欧米では「クリティカルシンキング(批判的思考)」という言葉で定着しています。…すなわち、真実を得るための判断としての思考なのです。」(pp. 17-18)

「まずは、自分の、ついつい鵜呑みにしてしまう姿勢自体を疑ってみてください。そうすると、必然的に相手の人格を疑うことがなくなり、言っている内容について、それが事実かどうか確認しながら、きちんと疑うことができるようになります。」(pp. 161-162)

「では、あふれ返る情報のうち、本当と嘘はどう見分ければいいのでしょうか。

その基本は、とにかく、「継続的に比較検討すること」に尽きます。同一人物が矛盾するようなことを言ったりすることは多々あります。そういうことに、まずは気づいてください。矛盾点は予断を持たず、多様なデータを徹底的に調べることです。

こういうことを繰り返していくと、いわゆる「直観」が鋭くなってきます。相手の言っていることは本当なのか単なる言葉遊びなのか正しい実験データに基づいて確信をもって話しているのか都合のいいデータだけを寄せ集めて言っていないか、相手の表情や言語外のコミュニケーションに注意するだけでも、その判断が身についてきます。」(pp. 164-5)

本のタイトルから、「まじめ」に徹すると、なにかの「罠」にはまって害悪が生じるので気をつけろ、という内容であることが推測できます。そうなると、読む上で注意すべきことは

①「まじめ」とは何か。
②「まじめ」はどこから来るのか。
③「まじめ」はどのような害悪をもたらすのか。
④「まじめ」にならないようにするためには何に気をつければよいのか、
の4点において、著者の主張を正しく理解することだと思います。ということで、今日は①の勝間さんは「まじめ」をどのように定義しているのか見てみます。

勝間さんは、「まじめ」を以下のように定義しています。

「「まじめな人」とは、ある目標に向かって一所懸命に突き進んでしまう人。」(p. 3)

「まじめな人」とは「与えられた課題設定に疑いを持たない人」、「与えられたものに対して逆らわない人」(p. 15)

「与えられた枠内で最大限の努力をしてしまう人、その枠自体が間違っているのではないかという発想のない人、そういうことに疑問を持つ人間はふまじめだとしか物事を捉えられない人―そうした人がまさしく「まじめな人」の典型です。」(p. 28)

要するに、ある「目標」が設定されると、その「目標」を達成することだけに夢中になり、その「目標」が設定される全体の枠組みについては何も考慮しないことを指すようです。

となると、勝間さんはミクロ経済学が前提とする手段合理的な行動を批判しているのでしょうか。「手段合理性(instrumental rationality)」とは所与の目的を最も効率よく達成する手段を追求・実施することを指します。勝間さんが手段合理的行動を批判しているのであれば、議論が正しいかどうかは別としても、非常にチャレンジングな試みといえます。なぜなら経済学という確固たる学問分野に対する挑戦だからです。

でも読み進めるとそうではないことに気づきます。

「まじめな人というのは「抜け道を探す」などという発想を持つことができません。そして、あたえられたやり方のみが唯一の正しい道だと考え、そこでもしうまくいかないとキレてしまいます。」(p. 50)

ここで勝間さんは、「疑いを持たない」ものとは「目的」だけでなく、それを達成するための「手段」も含まれると言っているようです。つまり、何かがうまくいかなくても所与の目的を変更しようしないだけでなく、それを達成するための方策もなんら変更しない人が「まじめな人」のようです。逆に「私がここで説明している「ふまじめな人」というのは、「柔軟な発想でいろいろな抜け道を探すことができる人」といってもいいでしょう。」(p. 50)だそうです。

勝間さんはさらにこう主張しています。

「まじめな人というのは、相手の言うことを鵜呑みにすることで、相手にすべての責任をなすりつけようとします。だから、自分が「疑うことを知らない、いい人」であり続けるために、まともに人の話も聞かず、「オールOK」にするのです。そして、権威に言わせておいて、権威の言うとおりにやって、それでもし上手くいかなかったら「権威が私たちのことを騙してました。騙されて傷つきました」みたいに言うのです。だからこそ、まじめな人は権威や専門家の意見が大好きなのです。

こうして、判断を人任せにしたいという気持ちが結果的に責任のなすりつけという形で表れます。そして、自分が無意識にそうしていることに、本人はまったく気づかないのです。だから、疑うというのは、相手を疑うのと同時に、実は自分をも疑うことなのです。」(p. 161)

「まじめな人」とは
―相手の言うことを鵜呑みにする。
―その相手とは権威的である。
―失敗すると、その権威に責任を負わせようとする。
だそうです。

ここまでくると、これは勝間さんが定義する「まじめな人」の特徴に含まれる概念なのか、それとも「まじめ」の定義には含まれない、勝間さんが定義する「まじめな人」にありがちな行動パターンなのか、そのどちらかわからなくなってきます。

この2つの違いがわからないと勝間本の意義も問題点も見いだせなくなります。一番限定的な意味での勝間流「まじめな人」は「所与の目標を疑問視しない人」のことを指します。この意味での「まじめな人」が権威的な人の主張をすぐ鵜呑みにし、失敗したらその権威者に責任を全部負わせようとするかどうかは、調べてみないとわかりません。言い換えるとこれは実証的な問題です。

例を出して考えてみましょう。高校生のA君はたまたま非常に頭がよいので、日本で一番難関な東大医学部を目指して受験勉強を必死でしています。自分が医者に向いているかどうか悩んだこともないし、東大医学部はどのような研究が進んでいるかといったことには何の関心もありません。ただ東大一直線のみです。それに対しB君は、将来どのような道に進むべきかいつも悩んでいます。自分は文系向きなんだろうか、それとも理系向きなんだろうか。理系だったらエンジニアを目指すべきか、コンピューター・プログラマーもいいかもしれない、人にも接したいからやっぱり医者かな、こんなことを毎日考えながら受験勉強をしています。

普通、B君のような高校生を「まじめ」と言いますが、勝間さんの定義ではA君が「まじめ」ということになります。では果たしてA君の方がB君よりも、権威的な人の言うことを鵜呑みにし、失敗するとその人に責任を負わせようとするのでしょうか。

そうかもしれないし、そうでないかもしれません。そもそも複数の権威的な人が異なったことをいう場合、片方の言うことに従うのは、もう片方の意見に従わないことを意味します。権威的な人が複数いる場合、権威者Aの意見に従い、権威者Bの意見を無視するのは「まじめ」な人なのでしょうか、それとも「ふまじめ」な人なのでしょうか。

私の経験からすれば、相手の言うことをすぐ鵜呑みにする人は、与えられた目標を疑わないどころか、すぐやりたいことが変わります。他人の意見にすぐ左右されるからです。むろんこれは1つの仮説にすぎません。勝間さんが言うように、もしかしたら相手の言うことをすぐ鵜呑みにする人の方が与えられた目標を頑として変えないのかもしれません。

はっきりしていることは、後者は前者から演繹的に導き出されるものではなく、実証的に調べないとわからない問いということです。にもかかわらず、勝間さんは『まじめの罠』の中で、相手の言うことをすぐ鵜呑みにする人ほど与えられた目標を疑わないということを特に実証的に証明しようとしていません。

そうなると勝間さんはもっと広い意味で「まじめ」を定義し、「まじめな人」とは、権威的な人の言うことを鵜呑みにして、その人の言うように「目的」とそれを達成する「手段」を設定し、うまくいかないとその権威者に責任を負わせる人、と勝間さんは言っていると考えた方がよさそうです。

こう定義化すると当面は実証的問題はクリアされたことになります。すぐ他人の意見に従う人ほど失敗すると逆ギレするかどうかは問題ではなくなるということです。なぜならこの定義では、すぐ他人の意見に従い<かつ>「すぐ逆ギレする」人がまじめな人だと定義づけられているからです。片方しか当てはまらない人は勝間さんの言う「まじめな人」ではないということになるだけです。

しかしながら、新たな実証的問題がすぐに訪れます。なぜなら勝間さんは、日本人のほとんどが双方とも当てはまる「まじめな人」だと主張しているからです。

「この「まじめの罠」は、社会の至るところにしかけられています。そして、日本人のほとんどが、この罠にハマってしまっているといっても過言ではありません。」(p. 5)

「私たちは、いつでも、どこでも、「まじめの罠」にハマってしまう可能性がある」(p. 14)

「日本全体が「まじめ中毒」に陥っていることに、私たちはもっともっと自覚的になるべきではないでしょうか。」(p. 23)

日本人のほとんどが「まじめな人」であるという証拠を是非とも見せてもらいたかったのですが、勝間さんが出す事例というのは大体、日常生活ではあまり出会うことのなさそうな例外的な人に関するエピソードばかりです。例えば、以下は彼女が通っているスポーツクラブでの話です。

「とにかく、日本では持ち上げられる側も持ち上げる側も、みな、まじめです。私が通っているスポーツクラブでは、毎月1日が定休日になっています。これも、あえて休みを作らないと「まじめに」毎日通ってきてしまう会員が体を壊してしまったりするので、定休日を設けているそうです。」(p. 23)

100人の会員の中で、1日も休みたがらない日本人って何人くらいいるのでしょうか。めったにない事例を持ち出して、日本人はこうだ、だから日本人はダメなんだ、とか言い出すのはあんまりよくないんですけどね。

次は東日本大震災の事例です。

「東日本大震災後も、「このままでは水が危ない」とテレビで騒がれ始めると、みな「まじめに」水を買い占めに走っていました。もちろん、水だけではありません。食料品しかり、日用品しかりです。」(p. 24)

私は震災後に関東や東北地方に一度も行っていないので現場の事情はよくわからないのですが、本当に外国ではありそうもないような買い占め騒動が日本で生じたのでしょうか。

勝間さんはやたら外国人に比べて日本人はダメだという論調で語るのですが、次の発言もよく理解できませんでした。

「「まじめ」は日本では褒め言葉ですが、本当に褒め言葉に値するものなのでしょうか。そのことを疑ってほしい、というのが本書の考え方です。」(p. 3)

「まじめ」は海外では褒め言葉じゃないのでしょうか。アメリカに10年ほど住んでいましたが、君はhonest, sincere, reliableと評されて嫌な気分になる人を見たことがありません。

ところで勝間さんは前書きで逃げ道を早速作っています。

「また、まじめと一口に言っても、まじめの中にも残されなければならない大事なものはあります。」(p. 6)

こういう風に語られると、いくら勝間さんの議論に反論して、まじめにもポジティブな側面があると言ってもも、「いえ、それは悪いまじめじゃなくて、残さなきゃいけないよいまじめなんですよ」と言い返されそうです。

これはカール・ポパーの言う反証不能な議論の典型です。「まじめ」はよい結果も悪い結果ももたらすのであれば、すべての人間行動を「まじめ」で説明することができるようになります。こういう何でも後付けで説明できる反証不能な議論は無意味な言説でしかありません。果たして勝間さんはそのあたりの問題をクリアに対処できていたのでしょうか。

 

勝間和代さんの『まじめの罠』をまじめに読んでみる: ①「まじめ」とは何か
勝間和代さんの『まじめの罠』をまじめに読んでみる: ②「まじめ」はどこから来るのか
勝間和代さんの『まじめの罠』をまじめに読んでみる: ③「まじめ」はどのような害悪をもたらすのか

勝間和代さんの『まじめの罠』をまじめに読んでみる: ④その他諸々

10月 31, 2011 · Pukuro · One Comment
Posted in: 雑談

One Response

  1. 雑感 20151119 | edge of the future - 11月 23, 2015

    […] […]

Leave a Reply