勝間和代さんの『まじめの罠』をまじめに読んでみる: ④その他諸々

Pocket

「まじめの罠」から脱すると以下の御利益があるそうです。

「「まじめ教」から抜け出したときに得られるご利益は、
①労働時間が短くなる
②お金が儲かるようになる
人を非難しなくなる
④人生に満足できるようになる

などをはじめ、たくさんあります。」(p. 141)

どこかの新興宗教のお説教みたいになっているような気もしますが、それはさておき、「まじめの罠」にはまらないようにするためにはどうすればよいのでしょうか。勝間さんはその処方箋についても述べています。

「まず必要なのは、「すべての前提を疑ってみる」「すべての前提を鵜呑みにしない」」(p. 17)

すべての前提を疑い始めたら虚無に陥ってしまいそうですが、それはさておきこうも言っています。

「では、なぜ多くの日本人は何事に対しても「まじめ」に取り組んでしまうのでしょうか。

それは、不必要だと思われることには適度に手を抜く、あるいは相手の言うことのすべてをいちいち聞かないといったような、「ふまじめ」にあたる能力の開発をしていないからです。」(p. 27)

まじめにならないようにするためには、ふまじめにならないといけないそうです。確かにそうですね。遊びすぎないようにするためには、遊ばないようにしないといけないし、犯罪者にならないようにするためには、犯罪を犯さないようにしないといけません。

[A] 「やはり、「まじめの罠」から逃れるためには、自分の枠組みをまずは疑ってみることが必要で、そのためには、その枠組みの外側にある知恵や人付き合いがなければならないということを示唆しています。」(pp. 31-32)

そのために勝間塾を設立なされたのですね(`・ω・´)

[B] 「まじめな人というのは、常に何かに追い立てられ、いつも他人の評判や顔色ばかりを気にして生きています。しかし、「まじめの罠」から抜け出すことができれば、たとえ人にどんな顔をされても、何とも思わなくなるでしょう。人の評判を気にしたり、人と比べてしまったりすること自体が不幸の源泉だと気づくのですから。」(pp. 141-142)

デービット・リースマンの性格類型の議論によれば、「与えられた課題設定に疑いを持たない人」、「与えられたものに対して逆らわない人」(p. 15)は他人の評判や顔色をあまり気にしません。なぜなら、達成すべき目標が規定のものとして設定されているからです。逆に、「すべての前提を疑ってみる」人ほど他人の評判や顔色を気にします。基準を自分で設定できなければ、外部に意見を求めざるを得ないからです。前者を「内部指向型」、後者を「他人指向型」と言います。勝間さんの主張は、内部指向型の人間は他人指向型の特徴を有するという不可思議な議論になっています。

[A]と[B]の文章を読み比べてください。最初の文章では外部の知恵に頼れと勝間さんは主張しています。でも後の文章では逆に、外部の意見を気にするのが「まじめの罠」と言っています。これは要するに、よい意見は受け入れ、悪い意見は受け入れるなと言っているにすぎないわけです。

「まじめ」というのは行動様式ですが、勝間さんの「まじめ」論というのは結局は行動様式についての議論ではなく、自分が正しい・よいと思っていることを支持するのがよいこと、自分が間違っている・嫌いと思っていることを支持するのは悪いこと、と言っているだけのように思えます。だから自分が気に入らないことに反対しないと「お前はまじめだ」、自分が不満に思っていないことに文句を言うとこれも「お前はまじめだ」と言い始めるわけです。「まじめ教」から脱するためには、勝間さんの言うことをすべて従うしかないようです。

むろん、勝間さんは「まじめ教」から脱退するための方策をもっと具体的に述べています。そのためには6つの解決策があるそうです。

興味がある方は本屋で立ち読みせずに、ちゃんと購入して内容を確かめてください。

http://www.amazon.co.jp/%E3%81%BE%E3%81%98%E3%82%81%E3%81%AE%E7%BD%A0-%E5%85%89%E6%96%87%E7%A4%BE%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E5%8B%9D%E9%96%93%E5%92%8C%E4%BB%A3/dp/4334036465

最後にその他一言コメントを諸々。

p. 14
勝間さんは「服従の心理」を調べるための実験エピソードについて書いています。白衣を着込んだ実験者が、被験者たちに「苦痛をともなう電気ショック」を与えるよう指示、被験者の約6割もの人が、最大で450ボルトのショックを他人に与え続けた、そうです。

実際には電気ショックは与えられていなかったことをちゃんと書かないと、ミルグラム実験について何も知らない人は勘違いしますよ。

pp. 15-16
石巻市の大川小学校で児童の約7割が死亡したのは小学校の先生たちの「まじめな」指導があったため。

津波を想定した危機管理マニュアルを「まじめに」作っていなかったことが大川小学校の悲劇を生んだという指摘もあります。

p. 17
「私も、マッキンゼーに入社するまでは多くの人と同じように、政府が行っていることは正しく、大企業は優秀で、マスコミは中立の立場から正しいことを報道し、警察や検察は正義を守っていると信じていました。」

「私も」とのことですが、二十歳を過ぎてそんな甘っちょろいことを信じているオトナはあんまりいないかと思います。

p. 18
欧米の国々とは異なり、日本の家庭や学校では、「人を疑ってはいけません」「親の言うことに逆らってはいけません」「先生の言うことは素直に聞きましょう」といったように、ただひたすら従順であることを美徳として教えるだけです。

どこの日本の小学校の話でしょうか。子供のしつけに関する国際比較についてはhttp://www.u-gakugei.ac.jp/~tam/research/culture/culture02.htmlを参照。この調査では以下のように書かれています。「また、日本の親はあまり子どもに注意していない。つまり外国と比較すると子どもに甘いといえる。それがよいか悪いかは別にしても、その背景には日本で伝統的ある「小宝」という思想がある(文献3)。つまり、子どもは本来善きものという性善説に準拠しているので、子どもを自然に育て、本来備わった持つ能力を妨害しなければよい子が育つという考え方である。 」

p. 19
「もちろん、私はまじめであることを完全に否定しているのではありません。まじめにはメリットもたくさんあります。まじめであれば、秩序はよく保たれ、気持ちよく暮らすことのできる社会を育むことができます。また、犯罪発生率は低下し、長寿社会を築くことができ、質の高い衛生環境やサービスレベルも生まれます。料理の質だって高くなります。」

つまり、みんなが勝間さんの言うとおりにすると、犯罪率が上がり、早死にし、町は汚くなり、店員の愛想は悪くなって、飯もまずくなるというわけですね。

p. 20
「私は、一種の流行語にもなった「カツマー」を生んだとして、メディアや世間から持ち上げられた2009年から、今度は一転して、「勝間和代を目指さない」という宣伝文句に謳われた本に象徴されるように、2010年には「アンチカツマー」を生むなど、世間からさんざん叩かれました。つまり、「まじめな人」からの持ち上げと叩き落としはどちらも経験したというわけです。」

勝間論によれば、同一人物が持ち上げる・叩き落とすという2つの行為を行うんですけど、たぶん勝間さんを持ち上げた人と叩いた人は別人ではないかと。

pp. 25-26
「この国の過度な「受験戦争」は、「まじめの罠」にハマりやすいタイプを作ります。受験戦争では、宿題を全部やり、基本問題をとことん解き、朝から晩まで寝る時間も惜しんで全身全霊を傾けて勉強し、模擬試験でも問題を全部パターン化しすべて覚えてしまう、といったような人間を大量に作り出します。…つまり、答えが一つではなく、クリエイティブに解く必要のある設問が苦手になってしまうのです。答えに幅があると対応できない、1個1個の問題をすべて個別に読み解いてしまう―これが、受験戦争による「まじめの罠」です。

受験戦争って死語じゃなかったんですね。日本の受験用教育が画一的な人物を作り出すという話は子供の頃から繰り返し聞かされましたが、いまだこういう主張がはびこっているのか。そんなものかと思いながらアメリカの大学に留学したら本当にびっくりしました。SATにしろ、GREにしろ日本の入試試験よりはるかにパターン化された、なんの独創性も要求しない試験問題なんだから。Englishの問題なんて英単語の意味を4択であてるのばかり(日本だったら漢字の書き取りだけで国語の能力がはかられるようなもの)。学生はとにかく成績(GPA)ばっかり気にするし、undergraduateのクラスは毎週小テスト。それが単なる確認テストにすぎなくて「お前小学生かっ?」とツッコミをいれたくなりました。

p. 47
小選挙区制になったせいで、衆議院議員が「まじめな人」ばかりになってしまった。

だから、アメリカ・カナダ・イギリス・インドの議員さんってまじめな人ばかりなのですね(´∀`)

p. 49
3ヶ月勉強して100点を取る人と、2日だけの勉強で80点取る人がいたとしたら、どちらを評価するでしょうか。

「もっと詳しく状況を説明してもらわないと、どちらの方が望ましいか正しく判断できない」というのが正しい答えです。

p. 54
「私は、テレビに出ている人のことを、なぜ「セレブリティ」と呼ぶのだろうといつも疑問に思っていました。そして、自分がテレビに出るようになって初めてそのことがわかりました。その背景には、テレビというのは無謬のメディアであって、そこに出ている人は自分たちよりも一段エラい存在だ、という思い込みが横たわっているのです。」(p. 54)

celebrityの意味を調べたらsomeone who is famous, especially in the entertainment businessもしくはa famous living personと辞書に載っていました。「エラい」という意味はないようです。

p. 55
「テレビでは、番組中のテロップの漢字の間違いのような細かいことにまでいちいちクレームの電話をかけてくる人がいます。そしてテレビ局側も、そういうのをいちいち直したりします。…そんなこと、ハッキリ言って「どうでもいいじゃん」と思いますが、日本ではマスコミですら減点法の世界で、なるべく減点されないような報道をするようになるのです。」

何百万人の視聴者の中でいちいち漢字の間違いを見つけてはテレビ局にクレームの電話をかける人って何人くらいいるのでしょうか。

p. 55
「テレビでは、番組中のテロップの漢字の間違いのような細かいことにまでいちいちクレームの電話をかけてくる人がいます。そしてテレビ局側も、そういうのをいちいち直したりします。「先ほど、スーパーの感じが一字間違っておりました。お詫びして訂正します」といったように。…こうしたマスコミの姿勢は、源流をたどれば「大本営発表を垂れ流すだけの、政府の広報機関としてのマスコミ」に行き当たります。対米開戦直前の日本では、戦争遂行という「まじめな目的」のために新聞社が自ら進んで「大日本言論報国会」という自主規制団体をつくり、報道の自由を捨ててしまいました。その結果、戦果報告が歪み、負け戦による敗走を「転戦」などと称して国家レベルの情報隠蔽が行われるようになったのです。」

視聴者からのクレームに丁寧に応えるテレビ局の姿勢は、戦時中にマスコミが政府の手先機関になったことからはじまるそうです。

へえ~。

pp. 68-69
「日本は肩書きを重視し、実務化に対する評価が極めて低い国です。まさしく「肩書き商売」みたいなものが横行しています。たとえて言うなら、建築家の言うことは聞いても現場の大工さんの言うことは聞かないみたいな変なランク主義が蔓延しているのです。」

もっとほかによい喩えは思いつかないのでしょうか。たぶん家を建てている人のほとんどが現場の大工さんのいうことをまじめに聞くと思いますよ。「奥さ~ん、だめだよこれじゃあ。こんな設計じゃ湿気がひどくて床下がカビだらけになっちゃうよ。ほんと現場知らずの建築家のやることはひどいねえ。」と大工に言われて、「あら、何をおっしゃいますの。一級建築士の後藤様が間違うわけないざます。あなた、中卒か高卒か知らないですけど、ちゃんと大卒の後藤様の言うとおりに建てるざますよ。」なんて言う人ってあんまりいないんじゃないかな。

p. 100
「私は、この世の中に差別や足の引っ張り合い、いじめなどがなくならないのは、「自分を満たすためのレクリエーションとしての差別・批判・いじめ」が存在するからだと考えています。「本来であれば自分はもっと他者から評価されるはずなのに、なかなか評価されない。だからこそ、自分をより持ち上げるために他者を落とす必要がある」というわけです。

「差別がなくならないのはレクリエーションとしての差別が存在するから」という言明は、差別は常にレクリエーションとしてであるならばトートロジーだし、レクリエーションが目的ではない差別があるならば間違った言明ということになります。

p. 121
「今の世の中は、努力しても報われない人たちを大量に作る社会です。

うつ病というのは、努力しすぎた人を休ませるために体があげる悲鳴みたいなものです。そのまま頑張り過ぎると大変なことになってしまうので、体が「休め」と指令して自己防衛的にうつ病になるわけです。」

努力していなくてもうつ病になる人はいるし、体を休ませてもうつ病が治らない人もいます。

p. 161
「また、日本には「私は信じやすい性格です。でも、それの何が問題なんですか?」とか、「人を疑うなんて、そんなことは私にはできません」と言う人がたくさんいます。」

あのう、私の周りで人を疑うことができないという人って一人もいないんですけど。。。

p. 178
京大カンニング事件。インターネットの時代なのだから、「いっそのこと受験でパソコンの持ち込みを許可したほうがいいくらいだと思っています。」

だそうです。

p. 182
「「正しいこと」なんていうものは絶対にありません。まじめな人は、世の中は知らないことだらけであるのを認めるべきです。まじめな人は、世の中に答えがあると信じて疑わないのです。しかし、答えがない問題のほうが多いということを、ぜひ認識してください。」

「正しいことなんていうものは絶対にない」という言明と、「正しい答えがない問題の方が多い」という言明は矛盾します。

ということで、勝間和代さんの『まじめの罠』コメントを終了。ここまで読んでくれた方、ありがとうございましたm(_ _)m

 

勝間和代さんの『まじめの罠』をまじめに読んでみる: ①「まじめ」とは何か
勝間和代さんの『まじめの罠』をまじめに読んでみる: ②「まじめ」はどこから来るのか
勝間和代さんの『まじめの罠』をまじめに読んでみる: ③「まじめ」はどのような害悪をもたらすのか

勝間和代さんの『まじめの罠』をまじめに読んでみる: ④その他諸々

11月 5, 2011 · Pukuro · No Comments
Posted in: 雑談

Leave a Reply