行動経済学はつまらない

Pocket

真壁昭夫著「最新 行動経済学入門」(朝日新書、2011年)を読んでみましたが、とにかくつまらなかったです。むろん行動経済学(behavioral economics)自体がつまらないのではないのかもしれませんが。

ちなみにほかの読者の感想を読むと、とくに評価が低いわけではないようです。
http://book.akahoshitakuya.com/b/402273406X
ということは、頭の悪い読者にはこれくらい頭の悪そうな議論をする方がとっつきやすいのかもしれません。むしろ、新書できちんと議論する方がやぼってことなのでしょうか。

最新 行動経済学入門 「心」で読み解く景気とビジネス (朝日新書)

 

人は必ずしも合理的に行動しない。そういう話が延々と続きます。でもそんなのは当たり前のことです。期待効用理論(expected utility theory)に基づいて議論する人たちは、みんながみんな合理的だから、アクターは合理的だと「仮定」(assumption)するわけではありません。「仮定」は「事実」(fact)と異なります。事実を仮定する必要はありません。

先生: 「~と仮定してみよう。そうすると、」
生徒: 「先生。その仮定はおかしいです。そんなことないと思います。」
先生: 「そんなことないことをそんなことあるとするから仮定なんですよ。」

行動経済学に基づく理論は期待効用理論より「説明力」(explanatory power)があると主張したいのであれば、合理的人間を仮定したモデルと異なるモデルを作り、それがどういった経済行動の予測を導くか示さないといけません。真壁氏の本にはそれがありません。唯一あるのは第2章のプロスペクト理論の議論だけです。だから、第2章だけは読む価値があります。

その他の章はSo what?というのばかりです。

では、ざっとこの本のどこがダメなのか簡単に見てみます。

e80a4020

行動経済学とは何か。

「行動経済学とは、人間の「心」がどのように経済行動に影響を与えるか、それを分析する学問である。」(p. 3)

「行動経済学では、従来の経済学が注目してこなかった、そうした人間の理屈に合わない行動に目を向けることを基本的な手法とする。それによって、より現実に近い経済の姿が浮かび上がってくるからだ。」(p. 9)

「社会は人間で構成されている。その中で営まれる実生活は、人間の判断によって行われる。人間の心の働きを理解しなければ、本当の意味で社会で起きていることを理解するのは難しい。そこに目をつけたのが、行動経済学なのだ。」(p. 22)

そして、著者は非合理的な行動の例をいくつも示すのですが、その説明の仕方が異様に下手です。

例えば、「ギャンブラーの誤り」の説明(第1章)。

「特定のことが起きる確率を、自分の主観で勝手に高く見積もってしまうという間違いを、「ギャンブラーの誤り」という。」(p. 23)

そして、ルーレットで黒が6回連続して出てきたので、「6回も続けて黒なんだから、そろそろ赤が出るだろう」と考えて、「次は赤だろう」と予想するのは間違いだと主張しています。

でも「6回も続けて黒なんだから、次も黒が出るだろう」と予想するのも間違いです。全く異なる行動を複数導き出せる理論は反証不能が故にまったく意味をなしません。著者は続けて不思議なことを言っています。

「ある事柄を何回も繰り返すと、回数が増えるにしたがって、確率は一定値に近づく…先ほどのルーレットの例では、試行回数はわずか6回である。100回、200回、1000回、10000回と試行回数を増やしていくと、最終的には、黒と赤がほとんど50%/50%の割合になり、大数の法則が成り立つことだろう。つまり、6回では試行回数が少なすぎて、どちらかに偏る結果になることは十分に考えられるのである。」(p. 24)

でも試行回数を何回増やそうが、ギャンブラーがルーレットで次の予想をするときに、全体の平均は黒と赤が50%/50%であるという情報は何の意味も持ちえません。

例えば「ハーディング現象」の説明(第1章)

ハーディング現象とは「人が、他の人と群れをなそうとする心理」を指すそうですが、その例として徹夜麻雀やラーメン屋の長い列に並ぶことをあげています。

「もう一つ、例えば、人間の本質について考えてみる。短期間で見ると、ときに、私たちはずいぶんバカなことをする。徹夜でマージャンに興じることなどは、その例と言えるだろう。気心の知れた仲間とマージャンに興じているときは楽しい。楽しさのあまり、夜を徹することもあろう。しかし、終わった後で「健康に悪いのに、バカなことをしたなあ」と反省した経験をお持ちの方も多いのではないだろうか。」(p.33)

いえ、私にはそんな経験はありませんが。群れるの嫌いですから。ハーディング現象という主張が正しければ、マージャンのような集団でするレジャーの場合の方が1人で楽しむレジャーよりも夜更かし・徹夜をすることを予測できます。例えば、インターネットは群れてするものではないから人は夜を徹してネットサーフィンをすることはまずありえない、という別の予測がなり得る限りにおいてマージャンでは徹夜することも多いという予測は意味をなします。

そうでなければ徹夜麻雀の話は何の意味も持ちません。真壁氏はまた「あるいは、ラーメン屋の店頭に長い列ができていると、「私も食べてみよう」という気になることがあるだろう。それも、一種のハーディング現象と考えられる。」(p.34)と述べています。

えっ、「食べてみよう」という気になるのは、「行列ができている→ここのラーメンはかなりおいしいにちがいない」と思うからじゃないのですか? ハーディング現象が導く予測は群れたがるんだから「とにかくその行列に並ぶ」でしょう。

でもほとんどの人は時間がもったいないから行列に並ばないと思いますよ。

例えば、「ヒューリスティック」の説明(第3章)

「私たちの日常生活で、とっさの判断が求められるとき、直感やひらめきに頼ることが多い。直感によって、ざっくりと物事をとらえることを「ヒューリスティック」という。」(p.75)

「図9を見てほしい。中抜きの円や楕円、横長や縦長など、さまざまな形状のものが並んでいる。1秒間見て、これらの形に共通した印象を考えてみる。

おそらく多くの読者は、「なんとなく丸い形だな」という印象を持つことだろう。これも一種のヒューリスティックだと考えればよい。」(p.57)

じっくり考えても同じ印象を持つんですけど(´・_・`)

ヒューリスティックに頼るというのは情報取得にもコストがあるというだけのことであって、そんなのはハーバート・サイモンが「満足化原理」(principle of satisfaction)に基づく限定合理性(bounded rationality)で数十年前からなされている議論にすぎません。

no title

第3章にはアンカーリングという議論も紹介しています。

「玄関のカギをドアに差したままであるにもかかわらず、なくしたと思って、慌ててしまったといった経験はないだろうか。

こうした反応が起こる背景には、固定観念で「カギがドアに差しっぱなしになっているはずはない」という思い込みがある。そうした固定観念を、行動経済学では「アンカーリング」と呼ぶ。無意識のうちにインプットされた情報が、「アンカー(=錨)となって、知らず知らずに意思決定に影響を与えてしまうのだ。」(pp.65-66)

過去において玄関のカギをドアに差したままにしたことがないひと(私はそういう経験を一度もしたことがありません)が「カギがドアに差しっぱなしになっている」可能性を予想しないのも「固定観念」で「アンカーリング」なのでしょうか?

例えば、「心理勘定」の説明(第4章)

「人は、1つ1つの行動から得られるメリットとデメリットを心の帳簿につけ、行動を決定していく。そのときに使われる帳簿のことを「心理勘定」という。

ほんの少し条件が違うだけで、頭の中の会計処理の仕方は変わってしまう。「こうしなければ」という思い入れ(=コミットメント)が強すぎると、そのことがかえって自分を縛ってしまい、判断を誤ることになりかねない。また、回収不能な費用(=サンクコスト)の呪縛にとらわれず、いさぎよく諦めるほうが、最終的に傷が浅くてすむ場合もある。」(p.105)

ひとがそういう心理的な影響を受けるというのは正しいのでしょうが、なぜかその例として「囚人のジレンマ」の話が出てきます。

あのう、囚人のジレンマはミクロでの合理性がマクロレベルで非合理な結果を導く出すというゲーム理論であって、個々人はあくまでも合理的であることが仮定されているモデルなのですけど…。なぜ「心理勘定」の章で囚人のジレンマの話を持ち出すのでしょうか?

例えば、「フレーミング理論」(第5章)の説明。

真壁氏は百貨店での閉店セールになぜ多くの人が殺到するかと問い、それはフレーミング効果のせいだと断言します。フレーミング効果とは「思い込み」だそうです。

「人間の心理とは面白いもので、「デパートではいいものを売っている」という印象が強いため、「閉店セール=いいものを安く買える」という意識に結びついてしまうのだ。それは一種の条件反射的な意識と言える。」(p.109)

「冷静に考えると、「閉店セール=安い」という関係は、常に成立するとは限らない。もしかすると、閉店セールといっても、必ずしも安い商品ばかりではないかもしれない。…賢い消費者になるには、フレーミング効果の呪縛を解いて、冷静に考える姿勢が必要だ。」(p.110)

在庫処分という宣伝文句に弱い人も多いです。

「ところが「在庫の中には、普段から欲しかった商品が含まれているだろう」という推論を組み立て、「処分というからには、きっといつもより安い値段で売るのだろう」という結論に結びつけてしまう。」(p.114)

「人間は、「閉店」や「赤字覚悟」、「剛速球」などという強い言葉に注意が引かれやすい。しかも、それが最初にインプットされた情報の場合、先入観ができやすくなる。

「三つ子の魂百まで」ということわざがある。幼年期に形成された性格は、死ぬまではほとんど変わらない、という意味だ。」(p.116)

「剛速球」? 剛速球が最初にインプットされた情報とはどういう意味なんだろう。それはさておき、閉店セールでは商品が安くなっていると予想するのはそんなに非合理的な推論なのでしょうか。「「閉店セール=安い」という関係は、常に成立するとは限らない。もしかすると、閉店セールといっても、必ずしも安い商品ばかりではないかもしれない。」と考えた上で閉店セールに行くのはまったく非合理的な行動ではありません。常に安くないというのは安いときもあるということです。それを確かめるためには閉店セールに行ってみないといけません。必ずしも安い商品ばかりでなくてかまいません。閉店セールに行って安くなっていない商品はスルーして、安くなっている商品だけ買えばいいだけのことです。

「インプットされた情報を時系列で並べると、初期段階に入力された情報が、より頭の中で重要性を発揮する。これが行動経済学でいう、「初頭効果」だ。」(p.117)

初頭効果の例として「ある日、小学生のA君は、国語と算数のテストの答案を返された。国語のテストは、90点の高得点を取ったが、苦手な算数はいつものように苦戦で、50点だった。」(p.117)というエピソードを紹介しています。このA君はお母さんに怒られないようにするのにどうすればよいでしょうか。初頭効果を考慮すると、初めに国語のテストの報告をしないといけません。

A君「今日、学校で試験の答案が返されたんだ。毎日遊ぶのも我慢して勉強したから、国語のテストは90点も取れたんだよ」

お母さん「まぁ、すごいじゃないね、よかったね」

A君「算数も頑張ったんだけど、うっかりミスが多くて50点だったんだ…」

お母さん「たまにはミスをするときもあるものね。くよくよせずに次、頑張りなさい。それにしてもよく頑張ったわね。冷蔵庫におやつのケーキがあるから手を洗って食べなさいね」

最初に算数のテストの結果から報告すると逆の反応が…。

A君「今日、学校で試験の答案が返されたんだ。算数はね、50点しか取れなかったんだ。でも、国語のテストは90点も取れたんだよ。」

お母さん「なぜ算数が50点しか取れなかったの。ミスが多かったんじゃないの!だから、あれだけ遊びに行かずにしっかり勉強しなさいと言ったでしょ。算数の点が上がるまで、テレビも遊びも禁止よ!!」(pp.118-9)

また、バカなことを…(´・_・`)

そして、真壁先生は突然、初頭効果を否定するようなことを言い始めます。

「初頭効果と同様に、ピークエンド効果も人の意思決定を左右する。「終わりよければすべてよし」ということわざにもあるように、最後の締めも重要なのだ。」(p.125)

「初頭効果とは、初めの段階で伝えられた情報が、より頭の中で重要性を発揮するという行動経済学の理論だと説明した。しかし、時と場合によっては、最後に出てきたものがより鮮明に記憶に残ることもある。まさに初頭効果とは逆に最後に出てきた情報、つまり、最新の情報が判断に影響することを、「ピークエンド効果」と呼ぶ。」(pp.125-6)

じゃあ、ピークエンド効果を考慮すればA君は最初に50点しかとれなかった算数のテストを報告した方がいいってことになるじゃないですか。

「私たちがどういった状況で判断を下すかによって、ピークエンド効果と初頭効果のどちらかが判断に大きな影響を与える。ある場合は、初頭効果によって、最初の情報が判断材料になるだろう。同様に、別の場合には最後の最新情報が意思決定の材料になるかもしれない。それはまさにケース・バイ・ケースである。」(p.126)

どういう条件の下では初頭効果がピークエンド効果より高い影響力を行使するか示すことができない限り、何の実証的価値もない反証不能な(unfalsifiable)議論にすぎません。

例えば、「せっかち度」(第6章)の説明。

人は将来よりも今のほうが大事と考えがちなので、ときに将来の価値を犠牲にして非合理的な行動をとることがあるそうです。そこで出てくるのは3歳の男の子の話。

「お母さんは3歳の坊やに向かって、「お手伝いのお駄賃としてケーキを作ってあげたいのだけど、今日は時間がなくて1つしか作れないの。でも、明日なら時間があるから、好きなケーキを3つくらいは作ってあげられるわよ」と言った。3歳の坊やは「今日、1つのケーキがほしい」と答えた。

3歳の幼児くらいにしか適用できない議論のようです。しかし、このお母さんは今日は1個だけケーキを作ってあげて、明日に2個か3個のケーキを作ろうとは考えないのでしょうか? この男の子が駄々をこねたら翌日もケーキを作ってくれるんじゃない(そうなると今日は1つのケーキをねだる行動は非常に合理的です)?

別の例もなにかしらおかしいです。

「ハイキングに行き、やっと頂上に着いて昼食の時間になった。友だちと話が弾むうちに手が滑って、食べかけのおにぎりを落としてしまいそうになった。

そのおにぎりを反対の手でつかんで、落ちることは防いだのだが、すっかり慌ててしまい、残りのおにぎり3つが入っていた袋を落としてしまった。」(p.140)

「このように、将来、より多くのメリットを享受できるにもかかわらず、自分にとって心地よくない状況に直面すると、反射的に不合理な判断を下してしまうことがある。」(p.141)

「おにぎりを落としそうになったとき、反射的に反対の手を動かす前に、「食べかけのおにぎりを犠牲にしても、手つかずのおにぎり3つを救うほうが得だ」と瞬時に判断できるようにしておくことがベストだ。」(p.141)

突然起きる予想だにしない出来事に対して、瞬時に一番合理的な行動は何か判断できるんだったら、この世に事故はなくなりますね。

例えば、「ナッジ」( 第七章)の説明。

「ナッジとは、それと気づかせることなく、特定の人や人々を、合理的と考えられる好ましい方向に誘導する行為をいう」(p.148)そうです。その例として出しているのがニューヨークのカフェテリア。ニューヨーク、あるセルフサービスのカフェテリアでは、料理の並べ方を工夫することによって、健康的なものを食べれるよう配慮している。これだけだとふーんそうなのか、で終わりますが次の一節を読むとまたガクンときます。

「すると、「あのカフェテリアで食事をしていると、なんとなく体の調子がいいな」という感じを持つ人が多くなり、店の売り上げを伸ばすことができるかもしれない。」(p.150)

はいはい、そうですね。「かもしれない」って言ったら大体なんでも「かもしれない」ですからね。5%の可能性でも「かもしれない」ですから、これも反証が困難な主張と言えます。ほとんどの人は昼食に野菜を多く取るようにしても健康的になったと自覚することはないでしょうけどね。

次は「カリギュラ効果」。「禁止をされると、自由を奪われることにストレスを感じ、それを破ってしまいたくなる」(p.150)のをカリギュラ効果と言うそうです。その例としてあげているものがばかばかしいです。

「学校で先生から「授業中におしゃべりをしてはいけない」と注意されると、逆らってみたくなるものだ。」(p.151)

「学生時代の友人は、「どんなに面白い本でも、それが教科書だと言われると、その瞬間に興味が薄れてしまう」と話していた。今から思うと、彼は感覚的にカリギュラ効果の本質を理解していたのだろう。」(p.151)

授業中に教師から私語をするなと注意を受けたら、生徒は反抗してもっと大きな声でしゃべり始めるんですか? めちゃくちゃ面白い本を教科書にしたらいけないというアホみたいなことも言っていますね。

アメリカの禁酒法もカリギュラ効果の一例だと言っています。

「カリギュラ効果を考えると、政府が法律で人々を抑えつけようとしても、基本的に人々の反発を買う可能性が高いことになる。その典型例の一つとして、米国の禁酒法をあげることができる。」(p.152)

「「飲酒はやめろ」と言われて、なかなか「ハイ、そうですか」と二つ返事でお酒を飲むことをやめられるという人のほうが少ないだろう。そこに「やめろ!」と言われれば、前よりももっと「やってみたい!」という意思がむくむくと大きくなる。」(p.153)

禁酒法があった頃のほうがアメリカ人の飲酒量が多かったというのは都市伝説にすぎません(参考文献 http://plaza.rakuten.co.jp/pianobarez/diary/201111050000/)。

このように真壁氏が例に出すエピソードはどれもがどうでもいいような話ばかりです。そもそも個人は必ずしも合理的にふるまうわけではないから、既存の経済理論ではだめだと考え自体がおかしいです。

「従来の経済学は、「人間は常に合理的な行動をとる」という前提に基づいている。つまり、「人間は決してバカなことはしない」「常に、理屈から見て正しい、あるいは合理的な行動をとる」と考えられてきた。それが、経済学の理屈の土台(=基礎)になっているのである。…私たち生身の人間は、理屈通りには動かない(=合理的ではない)ことが多いと言えるだろう。そう考えると、あまり合理的ではない人間がつくっている経済という社会の仕組みも、必ずしも合理的ではないことになる。」(p. 5)

必ずしもそうではありません。個々人が合理的でも集団決定が非合理的になることもあれば、個々人が完全合理性(perfect rationality)を備えていなくても、集団決定は合理的になることがあります。

また、人が合理的には見えない行動をとることがあっても常に非合理的に動くわけではないのですから、ただ非合理的に見える行動の例を出すだけでは、何の例証にもなりません。真壁氏の議論は、一見、どのような条件の下では人は非合理的になるかを示しているようにも見えますが、行き当たりばったりの主張にすぎません。例えば、彼は「学習効果」を無視しています。徹夜麻雀をして体を壊せば二度と徹夜麻雀をしないし、デパートの閉店セールに行ったけど商品がちっとも安くなかったという経験をしたら二度とデパートの閉店セールには行かない、といった学習を行動経済学はまったく無視しているのでしょうか。

“Learning is a conscious activity; it presupposes that the decision maker is able to discover past mistakes. An explanation based on the concept of learning produces the same outcomes as the rational-choice approach but uses much weaker assumptions.” (George Tsebelis, Nested Games, p.34).

ミクロでの非合理性がマクロでの非合理性を導かない例としてアメリカの政治学者George TsebelisはCongestion Effects、Natural Selection、Statisticsの3つをあげています。

“Suppose that instead of adopting the assumption that all individuals can make rational-choice calculations or that all individuals are capable of learning in repeated trials, we make the more realistic assumption that most individuals are not sophisticated, although a small proportion is capable of making these calculations. What will the equilibrium be?

To simplify matters further, assume that a cohort of individuals has to select career paths. Suppose that most have a very simplistic perception of reality and incorrect expectations, but a small percentage is capable of rational-choice calculations. Although the nonsophisticated individuals will make uninformed (and suboptimal) decisions, the most informed will anticipate this behavior#and compensate by having their behavior biased in exactly the opposite manner. For example, if there is an excess of doctors, the sophisticated individuals will become engineers or lawyers. So the social outcome will approximate the equilibrium that would prevail if all agents were sophisticated.

This argument has been made by Haltiwanger and Waldman (1985), who prove that equilibria with some sophisticated agents will tend toward equilibria where all agents are sophisticated in the case of ‘congestion effects,’ that is, where each agent is worse off the higher the number of other agents who make the same choice as he.

Most economic goods exhibit properties of congestion effects because an increase in demand raises the price and makes additional buyers worse off. I cannot claim that political phenomena demonstrate properties of congestion more frequently than economic ones. However, the number of cases of congestion effects is already large, and in all these cases, an equilibrium with a small number of sophisticated agents is practically indistinguishable from an equilibrium where all agents are sophisticated.” (George Tsebelis, Nested Games, pp.34-35)

“The same behavioral outcomes can be supported, however, by even weaker assumptions. Suppose that there are different ‘populations’ of people defined by their different reactions when faced with the same situation. Furthermore, suppose that when decisions are made and rewards or penalties are distributed, the less successful individuals are eliminated. In the long run, the most successful behaviors are reinforced, and the outcome approximates the optimal choice without any conscious means/ends calculation by those involved.” (George Tsebelis, Nested Games, p.35)

“To make matters more concrete, suppose that rationality is a small but systematic component of any individual, and all other influences are distributed at random. The systematic component has a magnitude x, and the random element is normally distributed with variance s2. Under these assumptions, each individual of the population will execute a decision in the interval [x – (2S), x + (2S)] 95 percent of the time. If, however, we consider a sample of a million individuals, the average individual will make a decision in the interval [x – (2S/1000), x + (2S/1000)] 95 percent of the time. This can be verified by the statistical properties of the mean: the rational decision assumed to be only a ‘systematic although very small component’ was approximated by the average individual of our sample at a factor of one thousand times that of the random individual. Therefore, the rational-choice analysis can be completely inaccurate concerning a specific individual but very accurate concerning the average individual.” (George Tsebelis, Nested Games, p.35)

真壁氏の議論はtautology, nonfalsification, posthoc fallacyの3つに集約できます。だから「第8章 こんなに役立つ行動経済学」に出てくる処方箋もくだらないものばかりとなっています。

e94c3b49

ビジネス編
事例: ある有名なタイプライターメーカーが、ワープロやコンピューターが普及し始めているにもかかわらず、タイプライターの製造にこだわって倒産した。

処方箋:  「変化を受け入れられないような、頑な心では、いつか、社会の変化に取り残されてしまう。…私たちは常に、過去の成功体験などから自分自身を解き放つ心を持つことが重要だ。」(p.169)

暮らし編
事例: 1973年のオイル危機でのトイレットペーパーの買い占め騒動

処方箋: 「後から冷静に考えると、一時的に在庫や供給が減少したとしても、ふくまでも一時的なものであって、少しの時間我慢すれば、再び、好きなだけ買うことができる状況になることは想像に難くない。その意味では、「みんなが急いで買っているから、自分も急がなければ」という一種の群集心理に基づいた行動は、合理的だったとは言いがたい。

むしろ、みんなが買って値段が上がったところで買うよりも、供給が戻り、価格が安定したところで買うほうが有利とも言える。」(pp.174-5)

処方箋: 「目に見える情報、耳で聞いた情報は疑ってかかるべし。…より幸福な人生を過ごすためには、冷静に考え、落ち着いて判断し、無駄な心配や不必要な混乱に巻き込まれないようにすることが必要だ。」(p.177)

政策編
事例: 不況には公共工事という考え。「政治家の心の中には、「不況には公共工事」という広い意味でのスキーマ(=先験的図式)ができあがってしまっているのかもしれない。」(p.190)

処方箋: 「現在の日本に必要な経済政策は、必ずしも単純な「公共工事」ではないだろう。「被災地支援に貢献しよう」というように、人々の心に語りかけるような行動が必要だと考えられる。」(p.192)

マネー編
事例: 賢い株式投資の仕方とは

処方箋: 「バブルのスタートから価格が3倍になったらバブルはピークと考えると、ケガは少ない。」(p.195)

「しかし、筆者の経験によれば、バブルのときには、株価が3~4年の間に3倍も上昇するケースが多い。」(p.197)

教訓「バブルと付き合うのか、付き合わないのかをしっかり決め、もし付き合うのであれば、価格がバブルのスタート時点から3倍になったら、迷わず逃げることだ。」(p.202)

へえー、行動経済学から導き出されるんじゃなくて、「筆者の経験」から株価がバブルスタート時の3倍になったら売り抜けろって言い始めるんですか。「バブルのときは」って株価が上昇しているときにそれがバブルかバブルじゃないかどうやれば判断できるんですか。株価が2倍に上がった後に下落したら大損?

真壁昭夫先生は行動経済学を学んでバブルは3倍上昇したらはじけるということを知ったのですか? そうじゃないでしょう。第一勧業銀行に勤めているときに得た経験則にすぎないですよね。でも真壁先生も「過去の体験から自分自身を解き放つ心を持つことが重要」ですよ。

稲岡和人氏が行動経済学を批判しているので、興味のある方は「行動経済学は絶望的か?」もお読みください。

 

※追記
11月19日に「悪いニュースを伝えるタイミングは?」という記事が掲載されました。

真壁氏は初頭効果があるため、最初に良いニュースを話し、悪いニュースは最後に話す方がよいと主張していますが、この記事では「良いニュースと悪いニュース、あなたはどちらを先に聞きたいだろうか? 例外はあるものの、悪いニュースを先に伝える方が有効と研究が発表された」とのことです。

9月 19, 2013 · Pukuro · No Comments
Posted in: ☆社会科学

Leave a Reply