「日本人の1割も英語を必要としていない」は本当か?

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寺沢拓敬著『「日本人と英語」の社会学─なぜ英語教育論は誤解だらけなのか』(研究者、2015)読了。

「本書は「日本人英語」をめぐる様々な言説をデータ分析により検証した。その結果明らかになったのは、間違っているにもかかわらず真実のように信じられている英語言説がいかに多いかという事である─それはまるで「都市伝説」である。」(p.259)

「日本人と英語」の社会学

アマゾンの内容紹介によれば、

「日本人と英語」にまつわる通説を、データを使って徹底検証!
「日本人は英語が下手」「これからの社会人に英語は不可欠」「英語ができれば収入 が増える」は本当か? 「日本人と英語」にまつわる様々な通説・俗説を、社会科学的な手法を用いて批判的に検証。正しい「日本社会」像を提示するとともに、英語学習や英語教育の 実態を浮き彫りにする。
『「なんで英語やるの?」の戦後史』で英語教育史に新風を吹き込んだ著者による、データに基づいた明晰な英語言説批判。

とのことです。本書を読む暇のない方は以下のリンク先記事を読んでみてください。

本書は「序章 はじめに」と「終章 データ分析に基づいた英語言説批判」を除くと四部構成になっています。

I部 英語力・英語使用
1章 英語力─『日本人英語話者』とはどのような人か?
2章 教育機会─英語話者になれたのはどのような人か?
3章 英語力の国際比較─『日本人』は世界一の英語下手か?
4章 英語使用─どんな人が英語を使っているか?

II部 語学
5章 英語学習熱─「語学ブーム」は実際どれだけのものなのか?
6章 英語学習者数の推移─どれだけの人が英語を学んできたか?
7章 英語以外の外国語の学習に対する態度

III部 仕事
8章 必要性(1)─「これからの社会人に英語は不可欠」は本当か?
9 必要性(2)─英語ニーズは本当に増加しているのか?
10 賃金─英語ができると収入が増えるのか?
11 職業機会─英語力はどれだけ「武器」になるのか?

IV部 早期英語教育
12章 早期英語教育熱─小学校英語に賛成しているのは誰か?
13章 早期英語学習の効果─早期英語経験者のその後は?

各章、議論が独立しているので最初から読む必要はありません。興味のあるトピックの章から読み始めることをお勧めします。

この本が誰にお勧めかというと、下記の言説を信じている人たちです。

「英語ができればキャリアアップにつながる」
「英語ができれば収入が増える」
「英語に劣等感を持っている人々が早期英語を支持している」
「グローバル化により英語を必要とする人は増えている」
「これからの社会人に英語は不可欠」
「日本社会の英語使用ニーズは年々増加している」
「日本人女性の英語学習熱は高い」
「日本人は英語学習熱が高い」
「日本人は世界一の英語下手」
「日本は戦後何度も英語ブームに沸いている」

寺沢氏は上記の言説がウソであることを明らかにします。どう間違っているかは実際に本書を読んでみて確認してください。

ただし、上記の言説を特に信じていない人が本書を読んでも、当たり前のことをデータで再確認しただけという印象を受けるだけかもしれません。私は議論の進め方が少し無理やりな印象を受けました。

 

「日本の英語教育論は誤解だらけ」の無理やり感

実証分析では、既存の当り前のことと思われていたことと真逆の結果が出る方が研究の価値は高くなります。「日本人はアメリカ人はより背が低い」という言説が正しいかどうか実証分析し、その正しさが確認されたとしても、So what? (「だから、何なんだよ」)という返答しか期待できませんが、「メキシコ人は日本人より背が低い」という言説の正しさが確認されれば、メキシコ人は小柄な人が多いという知識がない人には面白く感じられるし、もし「日本人は韓国人より背が低い」というよく知られている言説が実は間違いであったということが実証分析で確認されれば、さらにその研究は価値あるものとなります。

つまり、多くの日本人の間で共有されている「常識」と全く異なる結果をデータを示すことができるほど価値ある研究ということになります。寺沢氏は自分の研究がまさしく「そうである」と力説しているのですが(タイトルの副題は「なぜ英語教育論は誤解だらけなのか」です)、「誤解」をしていない人には、本書を読んでも当たり前のことをデータで確認したくらいの印象しか持たないでしょう。例えば、「日本人の英語力はアジアで最低」という主張がカッコつきの限定的なものであることを説明するのにわざわざデータを持ち出す必要もありません。

「日本人の英語力ってアジアで最低ですって。」「えー、そうなの? 英語が公用語のインドやフィリピンやブータンよりも英語ができないのはわかるし、英語学習熱の高い韓国よりも英語力が低いのも予想できるけど、なんでモンゴルやミャンマーその他のアジア諸国よりも英語力ないんやろ?」「あれっ?なんか変だね。」

寺沢氏の論法はStraw Man Argumentに近いものがあります。strawmanとは「藁人形」のことですが、論敵が主張していないことを勝手にイメージしてそれを論破しようとすることをStraw Man Argumentと言います。寺沢氏は橋下徹・大阪市長と文部科学省にかみつきますが、ちょっとstrawmanっぽいです。

「橋下徹・大阪市長(2014年11月現在)も、2012年12月、福岡市内の街頭演説で次のように発言した。

アジアで英語をしゃべれないのは日本人だけ。僕も国際会議に呼ばれる。中国人も韓国人もベトナム人もタイ人も英語ぺらぺら。僕だけ通訳がついている。みんなゲラゲラ笑いながら英語で会話している。僕は通訳入っているから1分後にゲラゲラ笑う。なんでこんな人間になってしまったのか。」(p.54)

この発言について寺沢氏はこう反駁しています。

「しかしながら、厳密に解釈するならなかなか疑わしい発言に思えてこないだろうか。橋下は、「アジアで英語を喋れないのは日本人だけ」、つまり日本人の英語力はアジアで ─ そしておそらく世界的に見ても ─ 最も低いと言っているからである。「最も低い国のひとつ」ではなく、「最も低い」と言っている点が重要である。」(p.55) 

街頭演説での発言を「厳密に解釈する」のも野暮ですが、橋下氏は日本人の英語力は世界で最も低いとは言っていません。何が「おそらく」なのでしょうか。また、橋下氏は国際会議での出来事として語っているのですから、この演説で彼がイメージする英語ができない日本人というのはエリート層の日本人を指すと考えるのが妥当です。エリート層でさえろくに英語をしゃべれない人ばかりというのが橋下氏の主張です。他のアジア諸国では貧困層でも英語ぺらぺらと橋下氏が思っているわけはないでしょう。寺沢氏の実証分析では、国民全体の英語力は日本がとくに最低というわけではないが、エリート層に限定すると英語力の低さが際立つという結果がでるのですが、橋下氏の国際会議の経験はそれと矛盾しません。

次に、寺沢氏の文部科学省批判です。彼は文部科学省の英語教育改革案を国家総動員的と批判します。

「しかしながら、この政策案が「斬新」な点は国際化を理由に一定の水準以上の英語力を日本人全体に要求した点である。このような、いわば「国家総動員」的な英語教育政策は過去に例を見ない。」(p.248)

「これまで見てきたように、現代においても英語を日常的に使用している人の割合はごくわずかであり、潜在的なニーズを持った人(たとえば、限定的ながら過去1年間に英語を使ったと答えた人)を含めても、過半数を超えることは決してない。このように、英語使用をめぐる社会状況は戦後初期から現代にかけてそれほど変わってはいない。

しかしながら、認識レベルでは正反対である。なぜなら、前述したとおり、近年の政府は「国家総動員」的な英語使用観に偏っているからである。英語使用ニーズの上昇はせいぜい数%から1割程度であるにもかかわらず、「社会全体で見れば英語使用のニーズはまだ限定的である」という現実をまるで忘却してしまったかのような認識の大展開である。」(p.250)

「行動計画」を確認したところ、「国家総動員」的なところをまったく確認できませんでした。文科省の言う「日本人に求められる英語力」とは「中学校・高等学校を卒業したら英語でコミュニケーションができる」を指します。つまり、中学・高校の英語教育をしっかりしようと言っているだけであって、すでに学校を卒業している大人に対して英語力をつけろとは書いていません。『英語が使える日本人』の育成のための行動計画の1ページを確認してみてください。

第5章の「英語学習熱─「語学ブーム」は実際どれだけのものなのか?」も論敵がstrawmanっぽいです。寺沢氏はこう述べています。

「本章で明らかになったとおり、「英語ブーム」は「日本人」全体から見るとごく一部の人々に関係する現象である。したがって、その「ブーム」を根拠に日本社会全体を「英語病」「英語信仰」だと論じるのは過剰な一般化である。」(p.119)

私は日本社会全体が「英語病」になっていると思い込んでいる人に会ったことがありません。また、寺沢氏によれば6割以上の日本人が英語に関心を示していないそうですが、

「「積極的に学習するつもり」と回答した人は全体の1.3%と、ほんのわずかしかいない。ここに「機会があれば学習したい」「しかたなく学習する」を含めても4割に届かない。むしろ、英語を学ぶつもりはないと明言している人が63.7%もいる事実を踏まえるなら、「日本人総体が英語熱を抱いている」といった過剰な戯画化は慎むべきであろう。」(p.102)

4割近くの日本人が何らかの関心を持っているものについて「●●病」や「●●信仰」と語ったら、「過剰な一般化」であり「過剰な劇画化」になるんですか。そういうレッテル張りこそ「過剰」でしょう。平成26年の15歳以上の日本人人口は1億1085万人です。「英語を学ぶつもりはないと明言」していない人が36.3%とすると、4023万人以上になります。4千万人以上の日本人が必要と思うものを「ブーム」という人がいても特におかしくはないでしょう。9割以上の日本人は将棋を指しませんが、「将棋ブーム」といった言葉は普通に使われます。

 

「日本人の1割も英語を必要としていない」論の無理やり感

「以上、本章では、日本社会に英語使用の必要性がどれほど浸透しているのか/していないのかを検討した。その結果、日本社会で生活する人のうち英語を日常的に必要とする人は、まだかなり限定的であるということがわかった。」(p.93)

「日本社会における英語の必要性の程度が明らかになった。この実証結果が英語教育政策論にいかなる示唆を与えるかを考えてみたい。

ごく穏当な示唆としては「日本社会における英語使用の必要性はまだそれほど高くない。この現状を考慮して、英語教育の政策立案をするべきである」いったものになるだろう。」(p.94)

8.2節で明らかにしたとおり、「仕事で英語を使用している」という行動ベースの基準で考えた場合、近年の日本の労働環境で英語を頻繁に使用している人はごくわずか─せいぜい数パーセント─である。ごく限定的な使用(たとえば「年に数回使用」)を含めてはじめて2割弱になるという状況である(ただし、あくまでも就労者のうちの2割であり、「日本人」全体から見れば1割程度である)。一方、主観的な必要性(職場での英語力の必要感・英語の有用感)では就労者の4割程度が肯定している。ただし、主観的な必要感・有用感は社会的な雰囲気、たとえばいわゆる「英語熱」に容易に左右されるものであり(金谷 2008)、実際には必要がないのに漠然と必要感に駆り立てられること十分あり得る。したがって、暫定的推計としては、行動ベースの基準である「現在の英語使用者」の割合(%10%程度)を準拠店にしておくのが無難だろう。もちろん、英語を使っていなくても実際には必要性がある場合(たとえば、英語力不足のために使用できない場合)も想定できるので、必要度の「真値」はもう少し高くなるだろうが、それでもせいぜい1, 2割程度だと思われる。」(p.175)

寺沢氏は日本で英語を必要としている人はごく一部に過ぎないというという理由から文科省の英語教育政策を批判するのですが、寺沢氏が英語を必要とする日本人は一割程度と考える根拠がいまいちよくわかりません。

まずは、高度な英語力を持っている日本人はごくわずかという主張から。

「日常生活や仕事の英会話が、充分できる」 1.1% (2010)
「英語の本や新聞が、スラスラ読める」 0.9% (2010)
(
1)

私もその程度だと思います。次に、英語を使っている人の割合。
「あなたは、日常生活や仕事で英語を使いますか。」
1. ほとんど使う機会はない 85.9%
2.
仕事で時々使う 5.1%
3.
仕事でよく使う 1.0%
4.
外国人の友人や知人との付き合いで使う 2.7%
5.
家族とのコミュニケーションに使う 1.4%
6.
趣味・娯楽・海外旅行などで使う 6.8%
7.
その他 0.2%
(p.79)

この結果から寺沢氏は「何らかの目的で英語を使用した人は14.1%に過ぎなかったことになる。」(p.81) と主張します。14.1%を「14.1%もいた」ととるか、「14.1%に過ぎなかった」ととるかは人それぞれでしょうが、要するに7人に1人の日本人は日常生活や仕事を英語を使っているわけです。就労者に限定した調査(p.162)では「過去1年間で少しでも英語を使用した人」は18.4%にも及ぶそうです(寺沢風に言うと「18.4%しかいなかった」と表現されるでしょうが)。

別のデータによると、
「あなたは過去1年間に、以下のことで英語を読んだり、聴いたり、話したりしたことが少しでもありますか。
1. 仕事 12.4%
2.
外国人の友人や知人とのつき合い 6.7%
3.
映画鑑賞・音楽鑑賞・読書 24.8%
4.
インターネット 9.9%
5.
海外旅行 8.5%
6.
その他 3.8%
7.
まったく使ったことがない。 58.4%
(pp.79-80)

なんと多少とも英語を使った経験のある人が4割もいるという結果が。ただし寺沢的には「まったく英語使用経験がない人は58.4%にのぼっており、逆に言えば、1, 2回の英語使用を含めても、過去1年間に使用経験があると答えた人は4割程度である。」(p.81)となります。

自分の英語力が職場で求められる英語力のレベルに対応できているか、という質問の回答は以下の通り。
1. 十分できている 5.4%
2.
まあ対応できている 11.3%
3.
あまり対応できていない 10.6%
4.
ほとんど対応できていない 11.4%
5.
英語力は求められていない 61.4%
(p.164)

ほぼ6割の人が英語力を必要としていないと回答しています。逆に言うと4割の人が英語力を必要としているという事になりますが、寺沢氏によるとこの結果も、「日本人の1割も英語を必要としていない」論の反証例にならないようです。以下、彼のトートロジー的なコメント。

「前説で検討した英語使用者の割合(%2割弱)よりもはるかに高い。この理由はおそらく、英語使用の主観的な必要感は実際の使用よりもかなり大きく現れるためであると考えられる。」(p.165)

「主観的な必要感」というのは「人々の主観に依拠した必要性であり、「必要感」とも言い換えられるもの」(p.78)を指すそうです。それに対比されるのが「客観的な必要」であり、それは「ある人をとりまく社会条件、つまり外的なニーズによって、英語使用が必要になる場合」(p.78)に生じます。そして、寺沢氏は「客観的な必要」こそが日本人の英語使用の必要性を示す尺度であり、英語使用の必要性は実際に英語を使用したかで測定できると主張します。例えば、先の「あなたは、日常生活や仕事で英語を使いますか。」という問いこそが「客観的な必要」であり、どれだけの日本人が英語を必要としているか判断できる指標であると寺沢氏は主張しているわけです。そして、そこでは仕事で英語を使う人は6.1%にすぎず、これが彼の「「日本は英語化している」は本当か?――日本人の1割も英語を必要としていない」エッセイの根拠となっています。

英語力/
英語使用の必要性
あり なし
あり A B
なし D C

寺沢氏の言う「英語使用が客観的に必要」だった人はAに該当します。十分な英語力がない人(BとC)は英語を使うべき環境にいたとしても英語ができないのですから、仕事で英語を実用レベルで使うことはありません。つまり、英語力さえあれば英語を使用する機会があったにもかかわらず、英語ができないために英語を使わなかったBの人は、寺沢氏の議論では「主観に依拠した必要性」にすぎず、英語使用の必要性はなかったとされます。例えば、英語力さえあれば海外勤務も可能で、出世する見込みがあったのに英語力がなかったため現状のポストで我慢せざるを得なかった人は英語を必要としない人として扱われます。アメリカのアマゾンから好きな商品を個人輸入したいけど、英語ができないのであきらめた、という人も「英語使用が客観的に必要」ではなかったということになります。不思議な指標です。

より客観的な指標として注目すべきはAではなくDに属する人だと思います。つまり、英語力があるにもかかわらず、仕事で英語を使用する必要に迫られていない人は本当の意味で英語を勉強したことが仕事上では無駄だったという事になります。例えば、TOEIC720点以上の人たちのサンプルの中で英語の勉強以外で英語を使っていない人の割合が9割以上であれば、「日本人の1割も英語を必要としていない」という主張の信憑性が非常に高くなります。

 

もっと多くの日本人が英語力を必要としている

データは自ら何も語りません。コップに残っている半分のジュースを「半分も残っている」と考えるか、「半分しか残っていない」と感じるかは個々の解釈によって変わります。

「あなたの趣味や人づきあいにとって、英語の力を高めることはどのくらい役に立つと思いますか」という問いでの
とても役立つ 6.6%
ある程度役立つ 11.7%
少しは役立つ 21.5%
ほとんど役立たない 30.0%
まったく役立たない 30.2% (p.104)
という結果について、「4割近くもの人が役に立つと回答した」と思う人もいれば、寺沢氏のように6割以上の人は英語力は役に立たないと答え、「とても役立つ」と回答した人は1割に満たなかった」(p.103)と答える人もいます。

「あなたの仕事にとって、英語の力を高めることはどのくらい役に立つと思いますか。」という問いの回答が
1. とても役立つ 7.5%
2.
ある程度役立つ 12.6%
3.
少しは役立つ 23.1%
4.
ほとんど役立たない 32%
5.
まったく役立たない 24.7% (p.166)
という結果について、「4割以上の人が英語の力を高めることは役立つ」と評価する人もいれば、寺沢氏のように「「とても役立つ」「ある程度役立つ」はいずれも1割前後で、「少しは役立つ」を含めても過半数は超えない。逆から見れば、「ほとんど役立たない」「まったく役立たない」と英語の優勢に否定的な人々は6割弱存在する。」(p.166)というネガティブな評価をする人もいます。

英語が必要だと感じている人の割合が
60%以上: 管理職(技術系)、ビジネスアプリケーション計SE、開発職(ソフトウェア関連職)
50%
以上: その他電気・電子・機械設計関連職、人事、管理職(営業職)、自衛官・警察官・警備・守衛など、講師・インストラクター・通訳など

40%以上: プログラマ、販売促進、営業(法人新規)、その他金融関連専門職、営業(法人固定)、管理職(事務職)、管理職(その他)、管理事務、鉄道運転手・電話交換手・郵便配達等
30%以上: 営業事務、その他の営業、分類不能の職業、その他接客・給士職業、看護師・看護婦・看護助手、総務、財務・会計・経理、ウエイター・ウエイトレス、業務、商品管理、レジ・ファッション販売、商品訪問販売等、渓分類されないサービス職業従事者、自動車・バイク整備し、機械保守・メンテナンス、理容師・美容師 (p.169)
という多くの職種で一定の割合の人が英語を必要であると感じているという結果についても、寺沢氏のように単なる「主観的な必要感」と片づける人もいます。

寺沢氏の「日本人の1割も英語を必要としていない」論の奇妙さは3点あります。①仕事での必要性に限定している事、②英語を必要と感じているが英語ができないために英語を使っていない人を英語を必要としていないと見なしている事、③義務教育での教育のあり方、です。

まずは③から。中学校は義務教育です。高校も実質、義務教育化しています。文部科学省が各教科の到達目標を掲げるのも当然のことです。それを「国家総動員」的と非難するのはいかがなものでしょうか。むろん、すべての中高校生が大人になって英語が必要となることはあり得ませんが、どの子が大人になって英語が不必要かどうかわからない限り、義務教育の段階ですべての生徒に英語を学ばせるのは特におかしいことではないでしょう。連立方程式、枕草子、月の満ち欠けのしくみ、大化の改新を中学生全員に教えるのも「国家総動員」的なのか。義務教育で英語を必修化することに何の問題があるのかよくわかりません。

②についてはすでに述べたので、最後に①について。今後も仕事で英語が必要になる人が激増することはないでしょう。でも、英語をできるようになった方がやはり得だと思います。それは英語ができるとインターネットをはるかに快適に利用できるからです。50歳以下の日本人の95%以上がインターネットを使っていますが、インターネットを使う限り英語に接するし、英語ができる方が何かと得です。インターネットを使っているときに、英語ができない人は大変だろうなあと思うことがよくあります。このサイトはWordPressで作成されていますが、WordPressはプラグイン等の更新記事の多くが英語のままなので英語力が必要になります。私はアメフトファンなのですが試合も英語放送を見ています(GamePassというサービスに加入すると2万円でひいきのチームの全16試合を観戦できます。日本語放送はありません)。英語がわかればスポーツ観戦もいっそう楽しめるようになります。日本に関する記事や放送が海外で話題になったら、元の記事を探ってチェックします。個人輸入もよくしています。学術書や学術論文は和文よりも英文の方が量ははるかに多く、さらにクオリティも高いので、英文が読めない人生を送ることなど到底考えられません。大学に入れば専門分野を学習することになります。まったく英語を必要としない専門分野はほとんどないので、大学で自分の関心のある専門分野をしっかり勉強したいと考えている中高生は英語をしっかり勉強しておくべきです。

えいご

PS. もん吉さんという方が「(日本人が)英語を学ぶ意義」という記事で寺沢さんの主張を批判していますのでそちらもお読みください。

PS. 寺沢さんがご自身のブログでこの書評を批判的にコメントなされていますので、最後までこの書評を読まれた方は、寺沢さんのブログ記事もお読みになることをお勧めします。

10月 13, 2015 · Pukuro · No Comments
Posted in: ■英語学習法

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